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スキーパラダイス(ムーラン・ド・ロンシャン賞) 日本人の騎手として初の欧州GI制覇の快挙を達成した。 ダンスパートナー(優駿牝馬)バリ 1995年優駿牝馬に優勝。牝馬ながら菊花賞にも挑戦し1番人気に推されたものの5着だった。 エアグルーヴ(優駿牝馬、天皇賞(秋)) 1996年優駿牝馬で親子2代での優駿牝馬を制覇。1997年天皇賞(秋)も優勝し、グレード制導入後初の牝馬による牡馬混合中長距離GI勝利を達成した。続くジャパンカップでも2着。 ダンスインザダーク(菊花賞)格安航空券 国内 皐月賞回避、東京優駿はフサイチコンコルドに強襲され惜しくも東京優駿、制覇を逃す。しかし菊花賞では上がり3ハロン33秒8で差しきり優勝。ゴール後珍しく渾身のガッツポーズを見せるも、激走がたたり故障し引退。 マーベラスサンデー(宝塚記念) デビューから15戦全てで手綱をとった。重賞4連勝など活躍しながらGIになかなか手が届かなかったが、1997年宝塚記念で戴冠。引退レースの有馬記念では、天皇賞を制したエアグルーヴを競り落とし、2着に好走している。 シーキングザパール(NHKマイルカップ、モーリス・ド・ゲスト賞) NHKマイルカップまで重賞4連勝。日本調教馬として初の海外G1制覇を達成した。 サイレンススズカ(中山記念、小倉大賞典、金鯱賞、毎日王冠) 旧5歳時に毎日王冠まで6連勝。宝塚記念では先約のあったエアグルーヴに騎乗したため、鞍上は南井克巳だった。圧倒的一番人気を背に臨んだ1998年天皇賞(秋)にて故障を発症、予後不良となる。武も相当落ち込んだようで、後輩の福永祐一も「あんな落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。その日の夜はワインを煽るように飲み泥酔する武が目撃されている。1998年2 月、東京競馬場でのバレンタインステークスにわざわざオープン特別にもかかわらず東上して乗ったことなどから、相当思い入れが強かったようであり、宝塚記念の直前にも何度も調教師にこの馬の調子を伺っていたようである。沖縄旅行 レンタカー スペシャルウィーク(東京優駿(日本ダービー)、天皇賞(春・秋)、ジャパンカップ) 東京優駿を初優勝した。この時、あまりの興奮に鞭を落としてしまった。また、武豊にジャパンカップ初制覇をもたらした馬でもある。1999年有馬記念では、「アタマ差は勝った」と勘違い、結果的に負けたのにウイニングランという恥を晒す珍事が起きた。 アドマイヤベガ(東京優駿(日本ダービー)) デビュー戦で1着入線も斜行で降着、騎乗停止となりジャパンカップのエアグルーヴの騎乗などが不可能になった。騎乗停止明けに格上挑戦のエリカ賞を勝利して軌道に乗ると、前年のスペシャルウィークに続いて、騎手としては史上初となる東京優駿連覇。 アグネスワールド(アベイ・ド・ロンシャン賞、ジュライカップ) フランスのG1アベイ・ド・ロンシャン賞、イギリスのG1ジュライカップを制覇。日本ではGIを勝てなかった。 エアシャカール(皐月賞、菊花賞) 東京優駿では、3連覇がかかったが、アグネスフライトのハナ差の2着に、菊花賞では内に斜行する癖を掌握して内ラチ沿いから伸び、二冠を達成した。 トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯) 2001年、世界最高峰のレースであるドバイワールドカップで、世界の強豪を相手に逃げ粘りキャプテンスティーヴの2着。同年のエリザベス女王杯では後方待機策で接戦の末に優勝。「勝つにはあれしかなかった」と勝利ジョッキーインタビューで語っている。 クロフネ(NHKマイルカップ、ジャパンカップダート) フランスから急遽帰国し跨った2001年NHKマイルカップでGI制覇。その後外国産馬で初のダービー参戦を果たすが惜敗。天皇賞(秋)を除外され出走した武蔵野ステークスでは1分33秒3の日本レコードで勝利。ジャパンカップダートでも2分5秒9の世界レコード勝ちした。 タニノギムレット(東京優駿(日本ダービー)) NHKマイルカップは3着。2002年東京優駿で後の年度代表馬シンボリクリスエス以下を差し切り、騎手としてJRA初の東京優駿3勝目をマークした。 ゴールドアリュール(フェブラリーステークス、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、東京大賞典)夜行バス ダートで開眼。地方を中心に快進撃を続けた。サンデーサイレンス産駒初のJRAダートGI制覇。JRA最優秀ダートホース。圧倒的1番人気に推されたアンタレスSでは、本命を打たなかった予想家に対し「馬に失礼」という発言を行っている。 ビリーヴ(スプリンターズステークス) サンデーサイレンス産駒として初めて短距離G1を制覇した。なお、この馬が勝ったスプリンターズステークスは中山競馬場ではなく新潟競馬場で行われた。 ファインモーション(秋華賞、エリザベス女王杯) 3歳馬として初めてエリザベス女王杯を無敗で制覇した。 ダンスインザムード(桜花賞) 2004年桜花賞優勝で、調教師の藤沢和雄に初のクラシックタイトルをプレゼントした。アメリカンオークス招待ステークスでは2着に敗れた。 アドマイヤグルーヴ(エリザベス女王杯2回) 牝馬三冠競走では相次いで出遅れて3、7、2着も、エリザベス女王杯を連覇。祖母ダイナカール、母エアグルーヴに続いて母娘3代GI制覇を達成した。 タイムパラドックス(ジャパンカップダート、川崎記念、帝王賞、JBCクラシック) 2004年JBCクラシックで初騎乗(3着)以降、GI級競走4勝をマークしている。安定した戦績とは言い難いが、ここ一番のGIでは力の違いを見せ付けた。 アドマイヤマックス(高松宮記念)SEO対策 3歳時はクラシック候補だったが、古馬になってからはマイル・スプリント路線へ転じた。この馬での高松宮記念勝利でJRA主催のGI開催がある全競馬場(中央4場および新潟・中京)でのGI勝利を達成した。 ディープインパクト(クラシック三冠、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念) デビュー以来無傷の7連勝で、シンボリルドルフ以来の2頭目の無敗の三冠を達成。有馬記念では2着に敗れ、無敗での4冠達成はならなかった。2006年天皇賞(春)、宝塚記念にも優勝した。凱旋門賞へ出走するも3位入線後、薬物発覚により失格。帰国後、ジャパンカップ、有馬記念に勝利した。東京優駿に勝利した際に「過去の馬とは比べたくありません。すでにこの馬が名馬なのですから」と語っている。 カネヒキリ(ジャパンカップダート、フェブラリーステークス、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ) 統一GI連勝の後、ジャパンカップダート、フェブラリーステークスも優勝。ドバイワールドカップに出走し5着(後に2着馬Brass Hat ブラスハットが薬物検査で陽性反応が出たため失格となり、4着と繰り上げ訂正)。 アドマイヤムーン (ドバイデューティーフリー) 3歳時から騎乗。共同通信杯・弥生賞と連勝するも、春クラシック2戦は敗戦。秋シーズンは距離適性を考え、天皇賞(秋)に出走するが3着に敗れる。翌年ドバイデューティーフリーを制し、初GI制覇が海外GIとなった。宝塚記念は近藤の意向で岩田康誠に交替となる。以降近藤夫妻・及び松田博資に関係する馬には騎乗していない。 メイショウサムソン(天皇賞(秋))夜行バス 石橋守に代わり、天皇賞(秋)から騎乗。同馬は史上5頭目の天皇賞春秋連覇達成。 ヴァーミリアン(川崎記念、ジャパンカップダート、JBCクラシック2回、東京大賞典、フェブラリーステークス) 2歳時・ダート転向直後に騎乗。その後2007年のJBCクラシックでコンビを再結成すると、史上初めて同年の秋ダートGI3レース(JBCクラシック・ジャパンカップダート・東京大賞典)全勝した。2008年JBCクラシックも勝利し連覇達成。 ウオッカ(天皇賞(秋))高速バス 2008年のドバイデューティーフリーで初騎乗で4着。ヴィクトリアマイルでは2着。毎日王冠では2着。4度目の騎乗の天皇賞(秋)を1.57.2のレコード優勝。天皇賞通算11勝目(春6勝 秋5勝)を挙げ単独1位となる。ハルウララ 高知競馬の交流重賞・黒船賞の次のレースに騎乗。結果は大敗するものの、取材陣の多さに「ダービー勝ったときより、今日は取材陣が多いですね」とおどけた。本音ではこのブームに違和感を覚えていたようである。 騎手招待競走 騎手としての実力を競う騎手招待競走でも、世界で活躍し金字塔を打ち立てている。 1992年 o ワールドスーパージョッキーズシリーズ(日本)総合優勝(第21回まで最多となる19回出場) 2004年 o インターナショナルジョッキーズチャンピオンシップ(香港)総合優勝(2000年-2006年まで7年連続日本代表として出場) 2003年、2004年、2007年、2008年 o シャーガーカップ(英国)世界選抜代表選出(4度の選出は日本人最多)。2007年は連対率4割を残し、見事世界選抜を総合優勝に導いた。2008年は2勝を挙げるも、シルバーサドル賞(Silver Sale Awar)にあと一歩及ばなかった。 2008年 o エルメスカップ(仏国) 連載 週刊現代「この馬に聞いた」 スポーツニッポン「サタデー物語」「サンデー物語」(GI時はGIスペシャル手記) 週刊ヤングサンデー 漫画「ダービージョッキー」(原案担当/作画:一色登希彦) ALBA「オンのターフ、オフのターフ」 V